福島搾油ツアー2012/9/9-9/10

9月9日(日)~10日(月)、福島に行ってきました。

主な目的は、日高くるくるねっとで栽培した菜種を搾ってもらうため、搾油所に菜種を届けること、および搾油所の見学。それに現在日高くるくるねっとでエゴマも栽培しているので、関係を作りたく、日本エゴマの会を訪問すること。そして原発周辺の市町村の現状を見てまわること。そして福島原発で働いていた友人に会うこと、でした。

まず訪ねたのが、福島県浅川町にある、協同製油です。ひと月前に福島を訪れた時には、青々としていた田んぼが、黄金色に輝いていて、季節の移ろいを感じました。


協同製油では、昨年代替わりをしたばかりの若社長さんが迎えてくれました。親子でやっている、小さな町工場といった趣きの搾油所です。日曜日は本来お休みなのですが、「平日だとゆっくり案内できないので」ということで、お休みの工場を見学させて頂きました。(工場内は写真撮影禁止ということだったので、写真はありません。)

最初に見せて頂いたのは、大きな薪釜です。菜種なら、一度に50kg入るそうです。この釜に種を入れ、少量の水を足しながら40分ほど炒った後、スクリュー型の搾油機で、種を捻りつぶしながら油を搾ります。出てきた油は静置して、油分とオリに分け、和紙で濾し、再加熱して、水分を飛ばした後ビン詰めにするそうです。

加熱する理由について尋ねると「その方が油の採れる量が多くなるから」ということでした。搾油率を聞くと30%程度ということで、生搾りと変わらないように思え、むしろ味や香りに差が出るのではないのかなぁと考えているのですが、今回、加熱焙煎方式の協同製油と、生搾りのバイオライフに半量ずつ種を頼んできたので、搾油量や味、香りを比較できればと思います。

種の産地によって、搾っている時の香りや油の色が異なるそうです。使っている肥料や土壌の状態まで、何となく分かると話されていて、おもしろいなぁと思いました。

搾油機には出口の所に小さな粉砕機が付いていて、油かすはここで粉砕されて、さらさらの扱いやすい状態で出てきます。手で触ってもべたべたせず、匂いもキツくありません。

原料は国産にこだわり、菜種以外にも、ひまわり、えごま、椿なども搾っているそうです。原発事故後は放射能測定も行って、いずれも不検出であることを公表していますが、福島県ということで、経営は厳しいということでした。協同製油のある浅川町は、吉田さんの塙町と同じく、空間線量は日高市と変わらないか、むしろ低い位の値を、持っていった線量計では示していました。

次に向かったのは、田村市にある日本エゴマの会です。

僕たちが到着した時、幸運なことにこの日は静岡から搾油依頼のエゴマが届いていて、ちょうど搾油をしているところに出くわすことができました!韓国から導入された搾油機で、丸い筒状になった容器の中に種を入れて、上から圧を掛け、下から油が出てくるというシンプルな構造です。出てきた油がろ過されてタンクに溜まり、そのまますぐに瓶詰めされて終了。1度に搾油できるのはエゴマの場合で5kg、20分で搾油が終わります。

エゴマの会で中心的に活動されている、渡部さんご夫妻が、作業をしながら説明して下さったのですが、話をしながらあっという間に搾油から瓶詰めまで終わってしまったのには、とても驚き、感動的でさえありました。

協同製油の、小規模とはいえ、一つ一つの機械の大きさと、それをつなぐラインの設計に少し圧倒され、「自前の搾油所を持つ!」というイメージには結びつかなかったものが、このエゴマの会の搾油機は、そのイメージを一気に膨らませてくれるものでした。

田村市というところは、市の一部が、原発から20km圏内に位置し、その地域は今でも避難解除準備区域、ということで、避難が継続している地域です。エゴマの会のある所は、30km強の所で、空間線量はやや高く0.3μSv/h位あり、会では今、エゴマ栽培を通じた除染の取り組みを始めようとしています。具体的には、エゴマを栽培し、種を収穫して搾油(油には放射性物質は移行しない)、油かすと茎葉をバイオガスプラントに投入してガスと液肥を生産。ガスは調理に使い、液肥はゼオライトに通し、放射性物質を吸着させた後、畑に戻す。油とガスと液肥を生産しながら、土壌の汚染をゼオライトに移す、ということになるのですが、計算上では20年はゼオライトを交換せずに使い続けることができるそうです。

帰り際に、エゴマ油の油かすをお土産に頂きました。筒状の容器の中で上からプレスされた種は、ちょうど丸いケーキのような形をしています。この油かすは油分は抜けていますが、ふりかけにしたり、うどんに練りこんだりと、食用になるそうで、我が家では揚げ物の衣にしてみましたが、ほんのりとエゴマの風味が残っていて、おいしかったです。

その後、田村市内の温泉に浸かり、夕飯を地元のスーパーと直売所で調達し、キャンプ地を探しに出発!温泉のおばちゃんも、エゴマの会の渡部さんも、良かったらここにテント張ってもらっても良いよ、と言って下さったのですが、翌日の予定を考えて、移動することにしました。

翌日、午前中は原発周辺の自治体を周りました。小野町から県道36号線を東へ。黄金色の穂を垂れていた田んぼは、徐々に姿を消していきます。しかしそれでも、避難指示の出ていない地域では、作付けはされてはいないが、草刈はされていたり、田を耕してあったりという光景で、それはそれで、その土地の人たちの、生きようという姿勢が感じられて、涙が出そうでした。

川内村を通り、おそらく富岡町の入り口の所で検問があって、止められました。川内村に戻り、国道399号を北上し、288号を東へ。これも大熊町の入り口で止められました。止められたあたりで、線量計は高いところで0.9μ位でした。初めて1μを超えたのは、399号に戻り、葛尾村に入ってからです。ここは計画的避難区域に指定されており、作付けはもちろん、住むこともできない地域で、そういう地域に、検問もなく入れたのは、葛尾村を縦断する399号が、福島市や伊達市、二本松市などとを結ぶ主要な幹線になっているから?と想像しました。そこの風
景は今までとは一変して、元の姿を想像し難い光景でした。学生時代に一度だけ訪れたことのある葛尾村には、葛などのツル植物が、田や畑や道路標識、場合によっては家までもを飲み込んでいました。心が痛みました。

葛尾中学校に大きな黒い袋がたくさん置かれていました。何だろうと思って車を止めて、近づくと、線量計が初めてアラーム音を発しました。7μありました。草刈をしたり、落ち葉を掃き集めたり、表土を削ったりしたものがその中に入っているようでした。怖いとも思いましたが、一方ではそういう作業をしている人たちがいる、ということも感じました。

葛尾村から浪江の方に向かう道では、2μを超えました。そこでもすぐに検問があることが表示されていたので、399号を南下して、川内村に戻りました。

川内村の中心地に、道の駅ならぬ「ひとの駅」という看板が出ていて、気になったので、行ってみました。廃校を利用したコミュニティカフェのようでしたが、あいにく閉まっていました。帰ってから調べてみたら、今は再開に向けての準備中ということでした。そのすぐ近くに、小さな商店が営業していたので、入ってみました。お店はがらんとしていて、棚に並べてある品物も少なかったのですが、おばちゃんはこの珍客3人を、売り物の缶のお茶を取り出して、もてなしてくれました。僕はこういうのに弱いんです。小野町のキャンプ地でテントを片付けているときに、犬を連れた散歩のおじさんが「こんなところで寝てたんけぇ」と声をかけてきて、あ、怒られるかな、と思ったら、「風評被害で苦しんでいる福島に、わざわざ来てくれてありがとう」と言ったんです。エゴマの会のひとも、温泉のおばちゃんも、このお店のおばちゃんも、散歩のおじさんも、みんな苦しい思いをしているだろうに、そういうことは全然見せずに、旅人を思い遣ってくれる福島の人たちの温かさを感じました。

商店の脇に、集会所があって、そこに食品検査実施中と書いてあったので、入ってみました。川内村には各集会所に放射能測定器が置かれ、商工会の臨時職員という形で地元の方が雇用されて、測定を行っているそうです。地元で採れた野菜や果物などを持っていくと無料で測定してくれるそうです。検出限界は10ベクレル程度ということですが、野菜はほとんど不検出だそうです。

もう少し周りたいところがあったのですが、時間が来たので、そこからずっと南下して、バイオライフに向かいました。

バイオライフは茨城県南部で、衣食住エネルギーの地産地消を目指して活動しているNPOです。事務所は龍ヶ崎市にありますが、搾油所は隣の取手市にあります。

さて、ナビでたどり着いた先は、小学校?バイオライフの搾油所は、なんと廃校になった校舎の調理室なのでした!体育館の脇に車を停め、校舎の中に足を踏み入れると、調理室に種が山積み!おもしろい光景でした。

バイオライフは2008年に設立され、菜種やひまわりを育て、搾油して食用とし、廃油を回収して燃料や石けんなどに利用する、という循環を目指しています。NPOとして栽培している部分の他に、油糧作物を栽培しませんか?という呼びかけもしています。栽培する人を募り、バイオライフが農機具の貸し出しや作業のアドバイスをし、採れた菜種は栽培した人の希望で、バイオライフに買い取ってもらうこともできるし、油にして持って帰ることもできるそうです。

搾油機を導入したのは2009年からだそうですが、今年は隣の牛久市からトン単位の搾油依頼が来るなど、着実に活動を広げている様子でした。

搾油機はドイツ製で、熱を加えずに搾油する、コールドプレスの機械。上から種を入れると容器の中で右から左にスクリュー?が回転しながら種を捻り潰して、油が出てきます。小型の機械ですが、1時間に20kg位の菜種を搾ることができるそうです。大型の機械になると、重すぎてメンテナンスが困難になるので、今後増やすとしたら、同じサイズのものを増やしたいそうです。菜種、ひまわりの他に、落花生を依頼されて搾っているそうで、落花生の場合、殻付きの方が搾油量の面でも、香りの面でも良い結果が得られているそうです。おもしろいですね。

コールドプレスにする理由は?と尋ねると、トランス脂肪酸を生じないようにするため、ということでした。トランス脂肪酸は摂取量が多いと、悪玉コレステロールを増やし、心臓病のリスクを高めると言われています。油を長時間、高温で加熱したり、水素を添加してマーガリンやショートニングを作ると生じるそうで、一般的な「サラダ油」は溶剤を使用して油を抽出し、その後高温で加熱することで、溶剤を飛ばすので、その過程でトランス脂肪酸が生じるのだそうです。

協同製油のように、焙煎してから搾油をする場合に、トランス脂肪酸がどの程度増えるのか、については今度改めて協同製油に聞いてみようと思います。

僕はそれでも焙煎することによって、油の風味が良くなるのではないか?生搾りだと、匂いがきついんじゃないか?と思っていたのですが、帰ってきてから食べ比べてみたところ、ツンとした、菜種の持つカラシのような匂いが鼻に付くのは、むしろ焙煎した協同製油の菜種油でした。もちろん、今回買ってきたものは種そのものが違うので、両者を単純には比較できないのですが、驚きました。

種の熟度、乾燥具合によって、油の味や色、香りに違いが出るということは、ここでもおっしゃっていて、いくつか見比べさせて頂きましたが、確かにきれいな黄金色の油から、ちょっと黒ずんだものまで色々でした。

搾った油は和紙を通して濾過し、やはり静置して、オリと油とに分けた後、瓶詰めをします。おしゃれな6角形の瓶で、僕たちの菜種油もでき上がりが楽しみです。

バイオライフを後にし、僕たちはこのツアー最後のプログラムとして、福島原発で働いていた友人と、取手市内で会いました。彼は東電の社員として、福島第一原発に10年、そして2年前から福島第二原発で、保守点検の仕事をしていました。地震のあった時、福島第二原発も津波で4系統ある外部電源のうち、3系統を失い、紙一重の状態にあったことはニュースでも伝えられました。彼も現場にいて、長い間使われていなかった古井戸から水を引っ張ってきたり、別の班では川から水を引っ張ってきたり、と現場で作業に当たった方々の懸命な努力と、外部電源1系統が残っていたおかげで「あと30秒遅れていたら、炉心がむき出しになってしまっていた」状態を回避できたそうです。

第一原発で爆発が起きた時には、線量計が振り切れるほど、一時的に線量が高くなったそうです。外にいた作業員は少なからず被曝をし、そのことによって、作業員の中で、差別やいじめのようなものがあったという話もありました。

第二原発は半年ほどで、何事もなかったかのような状態にまで戻ったそうですが、再稼動は認められず、作業員は暇を持て余すようになり、彼としては第一原発の手伝いや、周辺自治体の除染作業などを願い出たそうですが、いずれも認められず、第一原発の「交代要員」として「待機」していなければいけなかったそうです。

さらに第二原発では、保守点検に費やすコストを削減する、という方針が決まり、彼は彼がプライドをかけてやってきた仕事であり、また今回の事故を受けて、最も力を入れていかなくてはいけないと彼が考える分野を削減する、という会社の方針に憤りを感じ、今年の6月で仕事を辞めたそうです。

できるだけたくさんの人に、こうした事実を知ってもらいたい、と彼は機会があれば話に来てくれると言ってくれました。あくまで一社員だった彼から見た東電なり第二原発なりについてですが、いずれお話会などが持てればと思っています。

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コメント: 1
  • #1

    へいわねこ (月曜日, 12 11月 2012)

    田村市の日本エゴマの会の搾油所、取手市のバイオライフの搾油所、どちらも訪れたことがあるので、懐かしく拝読しまた。東電に勤めていたお友達の話、私でも聞ける機会がありましたら、お知らせください。

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